祖母が、昨晩、天国に旅立った。
親族に見守られて、やすらかな眠りについた。
一週間前の昏睡状態を超えて、はっきり意識を取り戻し、
みんなに元気な顔を見せ明るい話ができるくらいまで回復していた。
懸命に生きる力を見せてくれた。
薄れていく視界の中で、祖母が最後に見てくれたのは
撮ったばかりの私たちの結婚の前撮り写真だった。
20年以上、私を育ててくれて一緒に暮らしてきた住んだばーちゃん。
正直、いなくなる事がまだ実感が持てない。これから辛いんだと思う。
祖母がいて家族があって自分はこの世に生を受けることができた。
祖母がいて家族がいて、親族、友人、お世話になった方がいたから
自分がこうして生きている事ができるんだと、実感した。
ありがとう。
本当にありがとう。
ずっと私の心の中で生き続けてくれるとおもいます。
2007年09月29日
天国へ
2007年09月23日
祖母のV字劇
今年7月に親族全員集まって
ばーちゃんの米寿の祝いをしたばかりだったのに・・・
元気バリバリだった祖母が先々週、ベットから落ちて腰を痛打し入院した。
幸い骨を折ってなくて家族も大事にならずよかったと安堵していた。
しかし先週に入って、腰以外の思わぬ所が原因で容態が急変し、
数日昏睡状態が続いていた。
医師にも急きょ家族を集めるように言われ、東京にいる姉も親族も
みんなが夜中に駆け付けた。
ベッドに体を横たえ意識がもうろうとする中で、何とか声に出して
私たちに伝えていたのは、途切れ途切れのサヨナラの言葉だった。
みんなが涙を堪えながら、陰で泣いていた。
私もばーちゃんっ子だった幼少の頃を振り返りながら、肩を落としていた。
・・・
でもばーちゃんは不死鳥だった。
自らの力でピンチを乗り切った。
今日は数日ぶりにおかゆを口にしてくれた。
元気な言葉が戻ってきた。
活きた目が戻ってきた。
また笑顔が戻ってきた。
大切な人を失いそうになって、本当によくわかった。
人間は自分のためだけに生きているんじゃない と。
本気になればなんだってもっともっとやれる と。
ありがとう。元気になってくれて。
本当によかった。
これからもみんなに生きる勇気を分けてください。
それを体現したばーちゃんの元気を絶やさず持ち続けます。
ありがとう
2007年09月17日
ヤングマンの襲来
農業高校の1年生の生徒が2人、泊り込み実習で我が家にやってきた。
聞けば平成3年生まれという。
自分よりも一回り ヤングヤングでそんな彼らと共通の話題を
持ち続けていくのには結構なテンションと、日ごろからアンテナを
立てておかねばならずある意味、それはチャレンジでもある。
今、話題のキーワードはどうやら 小島よしお に尽きるようだ。
はじめは固かった彼らも、会話をしながら職場の雰囲気に慣れてくると
あっさりと化けの皮を剥がし始めた。 笑
一汗流し、夜は焼き肉を囲んだ。
飯星君は野球部のキャプテンで素振り用のバットを持ってくるくらい
熱血球児だ。部員は全員で9人というが話を聞くと団結力が相当ありそうだ。
それ以上に驚いたのは、6人兄弟で字の如く6人男でみんな野球少年だという。
来年は生徒会長にならなきゃいけなそうだと、うれしそうに心配している。
まー彼のキャラなら間違いないだろう。
恭平君は一見おっとりしているが、将来コックになりたいという夢を明確に
持っていて家庭で母親の代わりに台所に立ち5人の兄弟相手に
実技に励んでいるそうだ。細かな作業も丁寧に素早くこなしていた。
ふたりとも目がキランキランしていて話をしてくれるので、こっちまで嬉しくなる。
気持ちいいくらい遠慮せずにご飯を食べていると思ったらご飯を5杯
お代わりをしていたようで、これまた母が大興奮だった。
とてもフレッシュな気持ちになった。
でも彼らに感心しているばかりではなく、自分がただおっちゃん化していくのではなく、
いつまでもこうしてキランキランの目をもって生きていかなきゃそう思った。
またうちに来なっせよ。
シーユーネクストイヤー
2007年09月14日
テディベア
2007年09月11日
敬老の日を前に
おばあさんの手には当園の陶器鉢に入ったカトレアの株があった。
「1月にこのランを贈り物で頂いたんです。とても気に入っていて
また咲かせたいのだけど、今も元気なのか私には分からなくて・・・」
本当にありがたいと思った。
蘭をお孫さんのように扱って下さっているのだとしみじみ感じた。
そこから始まった園主の父との話もお互いとっても楽しそうだった。
先週から敬老の出荷のピークで、いつもよりたくさんの蘭を
仕立てて全国に出荷しているが、花を贈る人、贈られる人の
心を伝える形として一鉢一鉢もっともっと大切に扱わなければ!
と強く認識した。
ひとつでも多くのおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔に
携われるように、もうひと踏ん張りがんばるど!
と思えた一日でした。
2007年09月09日
山を選びました
ずいぶん心内に秘めておりましたが前回、電撃発表をこの場で
させていただきました。
ブログといえどもここは公の場でもあります。不安もありましたが
心のこもった おめでとう を頂き、本当にありがとうございました。
結婚を決めて4ヶ月後の挙式ということで、かなりバタバタと
していますが、それには本人達なりの理由があります。
いくつかありますが、そのひとつにどうしても雄大な阿蘇の自然に
こだわりたかったのです。 寒さ厳しい阿蘇の緑が萌える
季節は5〜10月。
今っぽいおしゃれな結婚式場でもなくて、市内の有名ホテルでも
なくて自然に包まれるような挙式がやりたいなと思っていました。
真剣に海にするのか 山にするのか と考えましたが
答えはやはり 世界のAso でした。
日常、海のすぐそばでかなり自然環境豊かなところで暮らして
いるくせに、車で2時間半もかかる阿蘇を会場に選びました。
彼女の実家のある鹿児島からは車で3時間以上かかります。
阿蘇くまもと空港(今夏名前が変わりました!)から1時間です。
遠すぎで本当にヒンシュクだと思います。
でも、私達のわがままをどうか、どうか聞いてください。
出席いただけるみなさま、本当にごめんなさい。
でも、私達だけでなく見守って下さるお一人お一人が心一杯に
なってもらえるような日を目指して準備しています。
あれ、テーマの花から ちょっと離れたブログになってるぞ・・・
ありゃりゃ
2007年09月05日
報告します。
2007年09月03日
加藤君 おめでとうの巻
ふっと振り返ればもう29歳。
誕生日の夜は、学生時代からの花友 座間洋ランセンターでバリ活躍中の
加藤君の結婚式に出席するため大観覧車を見下ろす
横浜のホテルの54階いた。
こうかくとかなりロマンチックな感じだが・・・ おなじく遠方、愛知から駆けつけた
花友のあるふぁじゃぱん榊原氏(35歳)と夜景を見ながら、
ノンアルコール談義を7時間ほど楽しんだ。
結婚式前から、かなり濃くなってしまった。
独身最後の誕生日の夜をともに過ごした彼も、まったく同じ心境に違いない。
話しは尽きない。この夜のお膳立てをしてくれた加藤君、センキューです。
当日の式も、笑顔いっぱい、花いっぱいだった。
おまけに乾杯の挨拶までさせていただき、幸せそうな二人を見ながら
話しを出来て、これまた私まで幸せを感じてしまった。
みんなの前で最後に「一生懸命な家庭を作ります!」 とても
印象的で彼らしかった。
これからは、話しごととファミリーで 幸せの種をたくさんこぼしてね。
ありがとう おめでとう